新潟県中越地震被災動物とその飼い主への救済活動報告

会員様並びに関係者各位

NPO法人犬文化創造ネットワーク(イヌタオネット) 理事長
NPO法人犬の社会化推進機構(OPDES) 理事
ビッグウッド株式会社 代表取締役社長
   
  大木 政春

10月25日、ビッグウッドのお客様の安否と状況を確認するところから始め、それぞれの安否の確認が取れたところで、10月26日、被災地への救済活動の準備を進めさせていただきました。しかし、被災地での公的な救済活動としての許可が簡単には得られず、無力さと焦りを感じていました。

公的な許可がないと、個人行動になるばかりか被災地への立ち入りも許可されない上、また勝手な行動での被災現場へのご迷惑になる事なども考慮しておりました。このままでは救済活動すら出来ない事になってしまう事が想定できましたので、ビッグウッドのスタッフやNPO法人犬文化創造ネットワークの理事に全力を尽くしてもらいながら、被災地に一番受け入れられやすい災害救助犬チーム(NPO法人OPDESとNPO法人犬文化創造ネットワーク連盟)を結成し、行政との折衝や我々を公的に受け入れてくれる手段を講じました。

半日以上の折衝を繰り返し、NPO法人犬文化創造ネットワークの理事である森岡代議士から田中真紀子代議士事務所や新潟県庁へのご連絡のご尽力を頂きながら、小千谷市役所職員ならびに小千谷消防署員の協力が得られ、なんとか公的に新潟県小千谷市に入ることが可能となりました。

道路が寸断されており長野を回っての長距離の迂回路になってしまいノンストップで9時間30分かかりました。途中通行止めの箇所などは、小千谷市役所職員のご協力とご誘導により通行が許可され、10月27日午前8時に小千谷市役所に到着しました。

消防局にて
  震災後まだ間もない状況で、市役所内やその周辺は自衛隊や救急隊員が緊張した面持ちでピリピリしていました。町の中はまだ災害救助の関係者とマスコミのみの立ち入りしか認められていなかったせいか、消防車や自衛隊車ならびにパトカーや救急車のみあわただしく行き来していて、市役所内部は死亡者や行方不明者ならびに2次災害などの報告などで混乱状態でした。被災状況のすさまじさや現場の緊張感に胸が詰まる思いでした。

我々は、まず消防本庁の許可で被災地に立ち入りを許可していただき、小千谷消防本庁にて出動要請を待つ形で車中待機をすることとなりました。2日間の待機で、途中誤通知などはありましたが、行方不明者がゼロになった事を消防庁より報告を受け、災害救助犬とそのトレーナーはそのまま待機の状態を続け、我々は被災者と同伴された動物たちへのケアー活動に移りました。

10月28日早朝、市役所を訪問し、災害救助犬としての任務と途中経過の報告を済ませ、同時に被災者と彼らの同伴する動物のケアー活動の要請をさせていただきました。市役所職員の方にも快く承諾していただき、避難所としては最大の小千谷総合体育館敷地内に活動窓口の設置をご了承いただきました。

我々は、まず動物を連れて避難された方々の様々なお悩みの相談を70件ほど受け付けました。最初は、ペットフードが無いとか、車中に動物と寝泊りしていて匂いが気になるとか、トイレシーツが無くて困っているという相談が大半を占め、あらかじめ用意していたフードや消臭剤やペットシーツを無料で支給することから始めました。

相談の様子
  不足のものを当社の工場や関係者に調達していただき、それらの生活必需品が支給されていくと、次に動物たちの健康面や環境の変化等の相談が増えました。ストレス性の下痢や食欲不振ならびに鼻炎や目の炎症、怪我、また、動物にとってこれまでに経験の無い災害による不安に加え、突然の人ごみの中での生活や狭い車中での生活などのストレスにより、戸惑いや軽いパニック状態に陥っている子などの相談が増えました。

健康相談については、たまたま現地でボランティア活動を行っている獣医師のビラを見て、その獣医師に電話で要請し、快く引き受けていただき、直ちに健康相談と軽い診察を始める事が出来ました。

数日後東京から村中獣医師や佐藤獣医師も応急処置が出来る程度の薬を持って駆けつけて下さいましたし、横浜のプレマ動物病院の羽尾獣医師も快く我々の要請に応じてくださり、現地に来てもらい対応していただきました。同時に地元の松井動物病院や新潟県獣医師会にも協力を要請し、快く引き受けていただきました。その後は新潟県獣医士会のメンバー2名が交代で常駐してくださり地元の獣医院松井動物病院と連携を取りながら病気や怪我のケアーに努めていただきました。

環境の変化からくる動物の行動心理などのケアーについては、私が理事を勤めておりますNPO法人OPDESのメンバーである、埼玉の南場トレーナーや福岡の田辺トレーナーならびに大阪の澤田レーナーや埼玉の土居トレーナーさんらに協力をいただき1件1件相談に応じケアーを実施いたしました。

その後、避難所において少しずつ被災者の方々に落ち着きや冷静さが見え始めた頃、動物の一時預かりをご要望される方が増えてきました。

その一時預かりについてのご要望の中で、七頭の犬に関してはある程度長期の預かりが必要でした。その内訳は、介護が必要な家族を抱えていらっしゃる方、高齢のためにとても肉体的精神的に動物の世話が出来ない状態の方々です。

長期預かりに向かう飼い主さんと犬
  その七頭のように、長期間の預かりが必要な動物に関しては、新潟県が復興まで責任を持って一時預かりをしていただけるということを聞いておりました。そこでさっそく新潟県に連絡をさせていただき、新潟県の施設で何時でも面会をすることが出来て、飼い主が引き取れる状況になり次第いつでも引き出して良い事を条件に預かっていただくことができました。

その他12頭の犬に関しましては、買い物に行きたくてもいけない人や、家に片付けや掃除に行きたくても行けない人のための、短時間の預かりでした。これらに対応するために、避難所の敷地内に小千谷市役所の暖かいご協力で一時預かり施設の場所を提供いただくことが出来ました。

上越市の五十嵐さんや犬文化創造ネットワークの森山トレーナーと、その友人である建築会社の田中さんなどのご協力により備品や設営のご協力をいただき、テントを6張り設営し、仮設ではありますが、日中時間の預かり施設をつくり実施いたしました。

 

また同時に、避難所で被災動物の面倒を見ている飼い主や被災動物を避難所に連れて来られなかった飼い主の方へ、全員を対象に現状と困っている点を把握する為の聞き取り調査活動を行いながら、我々の仮設相談所の存在を新潟県全て(約300箇所)の避難所にお知らせするビラ配りなどをボランティアの方々の協力で実施することができました。

そのような活動から、少しずつ小千谷総合体育館や近くの避難所に避難している被災動物全体の数が130頭ぐらい存在し、その飼い主がどのようなお悩みを抱えているか、どのような被害状況であるかなどを調査し把握いたしました。

そんな中で小千谷市では、被災直後は動物を避難させられなかった方が10名ほどいらっしゃることが解かりました。どうしても他の生き物との共生が不可能という犬1頭と猫1匹のケースで現状の場所を移さないほうが安全と考えられるこの2頭を除いては、飼い主さん自身で日々少しずつ全ての動物を避難させる事が進められていました。そしてその避難させる状況でない犬猫2頭についても、その飼い主さんは毎日食事と水を与えに元気にご自宅に通われていました。

小千谷体育館、仮設テントに繋がられた犬
  このたびの活動を通して、私は被災地における被災動物とその家族のケアーに一番大切なことは、話を聞いてあげる事だと感じました。相談する中で、コミュニケーションを図れば図るほど徐々に見えてくるものがありましたし、その相談を聞いてあげる事で少しずつ良い方にも向かっていく事が解りました。被災者の方達は特に動物を飼っている方にとっては、何重もの心配や気苦労が多いのです。

ものをいえない動物への責任感と愛情からくる孤独さや不安感、動物を飼っていない他人への迷惑を考えたり、動物と一緒ということでの遠慮や気苦労が絶えないのだと感じました。避難所の外につないでいる犬などは、飼い主が見えなくなると鳴き続けてしまい、迷惑がかかってしまうのでと寒い夜中でもずっと付きっきりで過ごす方々、避難所内には連れていけないために何週間も車中で動物と一緒に暮らす人々が多く見受けられました。

そんな大変な中でも、全ての飼い主さんはこの子の為にと頑張っていました。あるアメリカの調査を耳にした事があり、その内容がいつも脳裏を掠めていました。「被災現場で避難をしない確率が一番高い人は、子供がいなくてペットを飼っている人」なのだそうです。

このような現場に立ち、ひしひしと伝わってくる事は、飼い主さんの動物に注ぐ愛情、愛護の精神は日ごろ思っているよりは、はるかに大きいということでした。同時に飼い主さんが無理をしてしまい病気や精神的に追い込まれる事がとても心配になりました。当初、東京を出発した頃は我々のネットワークで70頭位の動物を飼い主さんの復興まで一時預かりできるよう準備していましたし、飼い主さんが放棄せざるをえない状況の場合や飼い主さんがわからない放浪動物の預かり施設や里親募集も準備していました。

しかし、現場で飼い主さんお一人お一人と接していくと、全ての方が可能であるなら「そばにいたい!近くで面倒みたい!」と切望されている事や、避難所には連れて来る事ができなかった動物の面倒を毎日通ってみていらっしゃる人ばかりで、この状況下においてすら飼育放棄なんて考えている人が誰一人いなかった事に胸をなでおろし感動すら覚えました。

被災者でありながら飼い主としての責任を遂行している飼い主さん達と毎日接していると、「何とかしてあげたい!何かのお役に立ちたいと!」思うのですが、実際は我々の方が勉強させられ、はげまされたような気さえしています。

テント隣で車中泊をされていた方と愛犬
  被災地に行って我々に出来る事は、ほんの小さな事でした。動物を連れて避難された方々が、少しでも無理をしないようにいつでも甘えられる場所を提供するぐらいの事でした。しかし、今振り返ってみると、動物保護の目的だけを遂行するあまり、避難勧告の場所へ入ってしまい捜索活動の邪魔をしてしまうことになるケースもあったようです。

また預かる事を優先してしまい飼い主の意志に反して離れた所で預かってしまう事などで、飼い主さんにペットロスという二重苦を感じさせたり、動物を飼っていない人にこんなに立派な飼い主さん達の動物に対する責任感が伝わらなかったりする場合もあったでしょう。またのちのち預かり施設で放棄動物が増えてしまう結果になったり、預かり施設が個人のボランティアだったりすれば長期での預かりに負担が増え限界を超えてしまったり、というような問題も発生してしまう様な気がします。 

やはり、飼い主の本当の気持ちは、どんな状況であれ「一緒にいたい!手放したくない!」と言う事が本音だと思います。

たとえ、このような悲惨な被災地でも、動物がその飼い主と共に暖かく保護され、動物を飼っている飼い主としての責任が十分に果たされて、その生命に対する責任ある飼い主の行動や、その保護された動物の安心感などが、動物を飼っていない被災者にも伝わり勇気や安らぎを感じていただけるような動物との共生という場所が提供できたらすばらしいと思いました。そして、このような活動の積み重ねで、日頃からまた特に災害時においては、それら動物を受け入れる文化がこの国にもだんだんと作られていく事を心から願いました。

そんな時、小学年のお子様をお持ちのお母様から、「避難所で近くに内の子供と同じぐらいの子がいなくて、子供に笑顔が無くて心配していたところ、近くに避難していた人のパグ犬と友達になったのです。子供に明るい笑顔が戻ってきて、その犬には感謝してます」という嬉しい声も届きました。

そして、そのような心温まるひと言を、心に残し11月6日、地元の新潟県動物愛護協会の坂田さんご夫妻と新潟県獣医師会の方へ無事全ての想いと仕組みを引き継がせていただきました。

小千谷体育館、イヌタオ本部
  当初より我々は、被災地からみればよそ者であります。最初の混乱状態のときには、地元の有志は全て被災者という現状があり、なかなか地元の方だけでの救済活動には無理があり、その段階では当然我々のような県外人が緊急時には対応させていただくことが必要かと思います。しかし、その場合でも被災者や被災地の風土や地域性や民族性を壊さぬよう慎重にとりくませていただくことが大切です。

被災地の方々が落ち着きを取り戻したあとは、現地有志の方々に引継ぎ、その土地ならではの風土や民族性を知り尽くした人々が地元のために活動し、今後の復興を地元のネットワークやチームワークで協力し合い、一時も早い復興と平穏な暮らしが出来る様に進める事も大切な事であると考えておりました。

このため、日本獣医師会へNPO法人OPDES理事長の前田さんからその趣旨の要請をしていただき、同時に我々現場で地元の動物愛護協会さんや、地元獣医師会の方にその活動の趣旨をご説明し、見ず知らずの我々を寛大な気持ちでご理解いただき、活動内容そのものを快く引き継いでいただくことができました。

災害は無いほうが良いのですが、明日は我が身が実感です。もしこのような災害が起きた時のために、今後は動物を受け入れる避難所の設置を行政に考えていただけるような活動を進めたいと思います。そして、それが実現してもしなくても、この度の様々な経験を生かし何時災害がどこで起きても我々が率先し、避難所での仮設動物避難所等を作り、被災者の方々がペットと一緒に避難所で無理をしないで済むような様々なケアー活動をしたいと考えています。

活動の基盤はNPO法人犬文化創造ネットワークと、NPO法人OPDESならびにビッグウッド株式会社が協力し合って行い、今後財団法人日本動物愛護協会や財団法人日本獣医師会などの協力提携を進めながら、総合的な災害動物緊急支援活動が行えるよう整備する所存でございます。

この度、ビッグウッド、OPDES、イヌタオネットそれぞれのスタッフも本部機能として様々な被災現場の要請に迅速かつ的確に行動を起こしていただき、また共に現場で動いてくれたボランティアスタッフにも合わせて心より感謝致します。

最後になりましたが様々な方からの励ましやご支援ならびにご協力を頂きました事に深く心より感謝申し上げます。誠にありがとうございました。