人間が食べることができない原材料や、保存料、着色料、酸化防止剤、合成されたビタミン剤がペットフードにはたくさん使用されているという現状。経済的な効率性のみを重視して製造し、科学的にそろえたデータだけで栄養成分の豊富さや、安全性をうたっているフード。こんなものを食べさせられていて、 ラテが元気になる道理はありませんね。私は、まず米国産のフードを全て廃棄しました。そして、人間の食と同じく「国産無添加」等の表示を頼りに、あちこち店頭を探しては試す日々が暫く続きました。しかし、私の求める安心と満足のフード、そして私自身が喜んで味見出来る、あるいは食材に使えるフード・・・そんなものは、なかなか店頭にはみつかりません。そこで今度 はインターネットを活用して、検索を始めました。ネット上のショップにも、きれい事を書き連ねた、いかにも健康になれそうな「宣伝文句」のフードは沢山掲載されておりましたが、もはや私は騙されません。既に、人間の食の世界にもよくある「宣伝文句」の裏に潜む落し穴をよく知っていた故です。そして検索を続けるうちに、ビッグウッドに行き着きました。フードに対するこだわり、そしてハンナ・クローガーとハルダ・クラーク博士の長年にわたる波動療法による治療実績とハーブのレシピを基盤にしたフード。ラテが生後半年になる時、遅まきながらも、理想のフード、理想のサポーターにたどり着いたのです。実のところ、ハンナ・クローガーとハルダ・クラーク博士の波動療法とその理論については、既に論文や書籍を読み、大学の卒論にもそれらを取上げた経験があった上、21世紀の医療としての波動療法を、私の仕事の面からも注目し続けておりました。それ故に、社長の大木さんのフードが完成するまでの体験記に触れて、ただただ納得、共感、感動し、ビッグウッドのレシピを全面的に信用するに至ったのです。2004年の3月、始めてのスパミール体験。食の細かったラテもその時「スパミール」に出会ってからは、食欲というものを思い出させてくれました。人間よりもワンコのほうが「身体にとって必要なもの」を選ぶ力に長けているのかもしれません。
こうして食を切換えてしばらくすると、ラテの耳の中に2cm余もある腫瘍ができ、だんだん大きくなって外耳を塞いでいるのを見つけました。まだ1歳にも満たない若さで腫瘍とは・・・。大きなショックを覚え、とりあえず、腫瘍の素性を知る為に病院へ連れて行きました。しかし、案の定、ステロイドと抗生物質を処方されたのみでした。
一時しのぎで、健康面での影響を後に残しかねないこれらの薬を、私はさっさと廃棄し、ビッグウッドからのアドバイスと私の仕事でもある「エネルギーヒーリング」をはじめとした自然療法を活かし、様子を見ることにしました。彼の生立ちや深い心の傷、純血種ゆえの「血統の濃さ」を思えば、それらが免疫系に与える影響も仕方なしと受け止めつつ、不安の中、獣医に頼らない治療を始めました。そしてわずか一週間ほどで、腫瘍が化膿し崩れ始め、何とその後一週間で、きれいさっぱり消滅!このことを通して、彼を獣医に頼らない育み方に徹すること、への自信をますます深めたのでした。ラテの場合、極端に警戒心が強い性質も、免疫力を低下させる一因になっていたのかもしれません。我が家に来るまでにどれほどの怖い体験をしたのか、子犬の頃から、他所のヒトにもイヌにもビクビクとして近寄れない子だったのです。ラテを取り巻く環境のなかにある怖いものもストレスの一つとなり、心理的要因が健康を害していたのも、また事実でしょう。私は、自ら出来るケアや、環境に適応させていくことで、少しでも、彼の生命力をメンタルな部分からも底上げしていってやろうと決意しました。ビッグウッドと巡り合えたことで、100万の味方を得たような気持ちでした。それから約半年後。一歳を過ぎた頃から、ラテの全身に小さな凸凹が出てきたことに気づきました。一時的に良くなりもしますが、興奮すると酷くなり、身体全体に一気に広がっていきます。幸いにも痒がる様子は殆どありませんでした。「スパミール」に切り替えた時期から考えて、生後から蓄積して来た体毒の排出作用かとも思い、ビッグウッドに相談して、あれこれ食の見直しを始めました。そして、パンや甘いお菓子など、ラテに催促されるままに時々与えてしまっていたことを反省し、それらを一切断つことにしました。これをアレルギー反応と捉え、特に警戒したのは小麦や大豆等の穀類に含まれる「農薬」でした。ビッグウッドからも、これらの穀類を「与えるべきではない」とお聞きしておりましたので、与えるのならば、国産無農薬のものにと、厳選して与えることを徹底したのです。すると数週間のうちに、彼の皮膚の状態も快方に向かい、スッキリとしてきました。勿論、勧められたハーブやチンキを摂り、免疫と廃毒に気遣いした結果です。実のところ、私自身も初めは大豆アレルギーで、市販されている豆乳などを全く受付けない体でした。しかし、本当は、大豆にではなく、農薬に対するアレルギーであると気付き、無農薬有機農法の限られた大豆のみ摂れるようになった経緯があったのです。 |