今月のエッセイ&イラスト

Vol.35(最終回)「ライオン my love」
文・堀 直子(児童文学作家)/写真・藤城 薫

 

その犬は、飼い主がうっかりと放してしまったリードをじゃらじゃらと引きずりなが ら、低く唸り、牙をむきだしにして、私の犬、ライオンにおそいかかったのである。

一瞬パキンといういやな音が、夕闇に響いた。
小さくライオンが鳴いた。
抱きかかえた私に胸に、ライオンの血があふれだした。

私は呆然とした。噛まれたのは、ライオンの一番弱い所。膀胱ヘルニアという持病を 持っているライオンにとって、肛門のわきから飛び出ている膀胱は、大事に大事にケ アしていかなければならない部分なのである。それが一瞬にして、ひきちぎられるよ うに、むしりとられるように、噛み裂かれたのだ。私は血だらけの手をひらひらさせ ながら、通りかかった男性に助けを求めた。

その男性の車で、動物病院に到着すると、獣医さんは顔をしかめた。「これは、ひど いな」

ライオンの手術は、麻酔なしで行われた。13才のライオンにとって、全身麻酔は、 とても危険なのだ。
ライオンは私の腕のなかで、何度も鳴いた。喉をふりしぼるようにして、首を突き出 すようにして。私も泣いた。血は、獣医さんの白衣まで染めた。

ライオンはその夜、病院の酸素吸入ボンベがついた部屋に入れられた。

そう、私はライオンのいない夜をはじめて過ごしたのである。眠れない夜の底で、 私は思った。
いつでも、どこでも、ライオン、おまえを守ってあげるね。
そう約束していたのに、私は、ライオンを守ってあげられなかった。ふがいなさが、私の胸にこみあげ、私は全身をふるわせた。ライオン、ごめんね。私は、おまえを守ることができなかった。私は妙に冴えた目を天井に向けた。
いや違った。私はひとりぼっちになって、初めてわかったのだ。気づいたのだ。守ってあげるはずが、私の方こそ、ライオンに守られていたこと。私のすべてが、ライオンによって、満たされ癒され、励まされていたこと。守られていたのは、この弱いどうしようもない自分だったのだ。
そして、私の人生の中で、ライオンの存在が、どれほど重たかったか、大事だったか、やさしかったか、なににもかえられない宝物であったか。私は、ライオンがいたから、生きてこられた。仕事ができた。人と出会えた。未来を信じた。悲しくなかった。

ライオンの退院が決まった朝、彼は甘えた声で鳴き、私が持っていったスープを飲み ほした。病院を出るとき、そられてしまった毛のないシッポを、ライオンは、ほんの 少し高く、空にむかって持ち上げた。

Back Number


3年間にわたって好評連載させていただいておりました堀直子先生のエッセイ『愛犬と自然』ですが、2002年12月の今回を持ちまして、終了とさせていただきます。
時には人生について深く考えさせられ、時には私たちをほのぼのとした気分にしてくれたステキなエッセイをいままでありがとうございました。
お写真を撮っていただきましたデザイナーでパートナーの藤城薫さんにもお礼申し上げます。
お二人の今後ますますのご活躍をお祈り申し上げます。(ビッグウッド)